こんにちは!Mayoです!
著者の私はメンタル疾患になって会社を退職。現在療養中です
そんな中、不安をかき消すように脳神経科学や物事の捉え方に関する本をたくさん読んできました
また、自分の人生を振り返ってみたりもして「不安」について思うことがあったのでまとめてみました
まあ結論は記事のタイトル通り、「生きていてを何しても不安なら好きなことをすればいいのでは?」です
生きていて何しても不安なら好きなことをすればいいのでは?
物心がついた時から常にあった「不安」
思い返せば不安って小さい頃から常にありました。
私はもう生まれながらの心配性で、子供の頃なんか特に世の中について何も知らなかったので本当に色々なことを心配していました
今思えば「いやいや、そんな先のこと心配しないで小学生らしく泥団子とか木登りとかゲームボーイアドバンスとか楽しめやーい!」って思えるんですが、当時の私は漠然と将来を心配していました
【小さい頃の母との会話】
大学に行けなかったらどうすればいいの?
大学はたくさんあるし、大学に入らなくたって働けるわよ、あんた何十年後の心配してるのよ笑
「うーん。それで十分暮らしていけるのかな?規模感がよく分からないな…」
と思ってました。思考回路が全然子供らしくないw
学校の先生は授業内容を教えてくれるけど、進学したその先のことって特に教える機会も無いじゃないですか
なので小学校低学年の私は将来のことについて漠然と不安を抱えながら過ごしていましたね
不安で不安で病気になった社会人生活
まあそんなこんなで物心ついた時から色々と深く思い詰める性格だった私はそれなりに学生生活を送って企業に就職しました
業界の繁忙期が来て、重い仕事を任され始めてからは失敗をとても恐れるようになり、期待と重圧を感じつつも頑張ること自体は好きなので仕事に全てを捧げていました
しかし、コロナ禍で上司に相談できる機会が減り、大きな仕事を任され、各方面から様々なことを依頼され、頭は常にフル回転してずっと緊張状態。大きな不安を抱えながら日々を過ごしていました
そして最初の症状、不眠が起こり、立っていられなくなるほどの動悸、冷や汗、突然涙が出る、漠然とした不安感でじっとしてられない、閉鎖空間にいられないなどの症状が出てきました
そして心が折れて4年勤めた会社を退職しました
結局不安は次から次へと生まれてくる
現在療養中ですが、薬を飲んで、室内で運動して、日光を浴びて、瞑想をして、本を読んで、文章を書いて、不安に焦点を当てないように必死です
でも潜在意識の中では
という不安があり、心臓バクバクで冷や汗をかきながら毎朝目覚めています
そんな中、「不安」という人間の感情について、脳神経科学からの観点だったり、仏教からの観点だったり、色んな側面から過去の自分の経験も踏まえ、見つめ直してみました。
そして私が至った結論は、「不安は生存本能でどうしようもない」です。
私は今、病気で脳がエラーを起こしているので「不安」に対してかなり過敏です
友達と話すと
「療養中でも貯金はあるし、生活も安定してて最悪都内に実家があるのに何をそんなに怖がってるの?今はゆっくりできる環境にあるんだからゆっくり病気を治せばいいんだよ!大丈夫だよ〜^^」
って言ってくれます。ありがたい。友達の話を聞くと「確かにそうだな」とも思えます
多分第三者から見れば私はかなり恵まれてる方だと思います。
日本に生まれた時点で宝くじ当たったようなもんだってインドネシアの友達に言われたことがあって、海外ボランティアでその日生きてくのに必死な人達もこの目でみてきました。
だけど私が不安に思うことって本当にくだらなくて
- あの手続き、ちゃんとやってもらえたかな
- この決断は正しくなかったんじゃ無いかな
- 将来、どうなっちゃうんだろう
っていう不安が常に隣にいます。「小さなことだ」と分かっていても頭はそれに対して大きく構えて緊張しちゃうんです
何をしても不安、しなくても不安。不安を完全に消すことは不可能なんじゃないかなと思い始め、
「だったらもう好きなことをやればいいのでは?」
と思い至りました
きっと私は今後、病気が治っても治らなくても、就職しても独立しても、結婚しても独身のままでも、ずっと不安と一緒に過ごすのだと思います
だったら「不安が少なそう」な選択肢を選ぶのではなく、自分の好きなことをしようと思えました
今はまだ暗闇の中にいて、どの目的地が自分にとって幸せか、そしてその目的地に行くにはどうしたらいいのか、彷徨っている感覚です
1年後、自分が何をしているのかさえ分からないですが、ブログ発信は続けて行こうと思ってます^^
んじゃね!
Mayo
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