初めまして!Mayoと申します
まずは、ページを訪れてくださりありがとうございます^^
この記事では著者のプロフィールと経歴を紹介していきます!
私は2022年、人生の片付けを決行しました
家具、家電、住んでた賃貸、同年代より一桁多い年収をもらえる仕事を全て手放し無職になりました
「え!?そんなにお給料貰えてたのに何で!?もったいない!」
「てか転職しなかったの?!」
と思われる方も多いでしょう。私も頭が焼き切れるんじゃないかってくらい悩みましたし、仕事を辞める時、散々周りに引き止められました。
でもあることをきっかけに、自分の人生を見つめ直して「あれ?今の職場にいても、私の理想って実現できなくない?」って思ったんです。
ちょっとその辺も深堀してお話ししたいと思います^^
破天荒だった幼少期
結構珍しいらしいのですが、私は2,3歳あたりからの記憶が今でもはっきり残っています
私は幼稚園が大嫌いでした
当時は思っていただけで言語化できてませんでしたが、
「なんでお家を出て幼稚園で過ごさなきゃいけないの?私にメリットは?幼稚園行ってる間にお母さんに捨てられたりしないかな?」と思っていたのを覚えています笑
そんなんだったので朝、制服に着替えさせられそうになると、部屋中を走って母から逃げてました。だって行く意味がわからないんだもん←
無理矢理乗せられたバスで幼稚園に着いたら、みんな制服から園内着に着替えるのですが、私は一刻も早く帰りたくてずっと制服を着てたし、給食も一口も口にしませんでした(やば園児過ぎる)
ある日、先生が「教室じゃない場所でだったら給食食べてくれるんじゃないか」と保健室か職員室のようなところで給食を出してもらい、「なんか今日すごいプレッシャー感じるな」と思いつつ、一口カレーを食べたんです。(めっちゃ覚えてる)
そしたら担任の先生が「Mayoちゃんがやっと給食食べてくれた…!」と涙を流してました。そのくらいヤバい園児でした。
当時、私を担当してくださった幼稚園の先生方々。本当に本当にご迷惑をたくさんおかけしました!大変申し訳ありませんでした!そして見捨てないでくれて本当にありがとうございました!!おかげで大人になれました!!
これだけ聞くとぼっちでおとなしそうな子供ですが、教室で遊ぶ時間なのに、友達を5〜6人引き連れて脱走し、園庭で遊んだりして怒られたりしてました。
「幼稚園開園以来の問題児」と言われていたそうで、本当に当時の先生方には頭が上がらないです。母もかなり肩身の狭い思いをしたみたいです。(本当にごめんね)
おじさんをストーキングしてた小学生時代
小学校では、男子と遊ぶときは木登り、かけっこ、ドッジボール、昆虫採集に励んでました。
女の子の友達が来たらお絵描き、たまごっちの交流、シール交換など、なんか思い返すといろんな子と遊ぶ子でしたね。
あと私、小学校低学年であるおじさんをストーキングしてたんです(え)
いつも公園でランニングか、鉄棒で懸垂してる人で、ムキムキのマッチョ、白髪坊主で肌がこんがり焼けた健康的なおじさんでした。
その人は昔、仕事で海外に行った話をよくしてくれて、
「俺がベトナムに行った時にはなぁ〜パイナップルが一円で売ってたぞ〜」
「カンボジアに行ったらアリに足を噛まれてよお、帰りの飛行機で左足が2倍くらいに腫れちゃったんだ!」
など、楽しい話をたくさんしてくれる人でした。
なのでおじさんがランニングしてそうなところをチャリでぐるぐる回って、おじさんを見つけたらストーキングし、おじさんのトレーニングが終わって話をしてくれるまでワクワクして待ってました笑
おじさん、鬱陶しかっただろうに、いっぱい素敵なお話ししてくれてありがとう^^
その後「世界がもし100人の村だったら」を見て影響を受けたのも、もしかしたらおじさんが海外の話をたくさんしてくれたからかな?
そして小学校高学年でお受験した私は中高一貫校に入学しました
部活に命を燃やした高校時代
中学と高校は部活に勤しみました。
高校での部活は特に厳しく、今思えば体罰だったんじゃないかくらいのキツいトレーニングが週6回、長期休みはほぼ毎日部活でした。サロンパスの香りを漂わせてるJKでしたねw
テスト期間だけ部活が無かったのでテスト期間大好きでしたね笑
「死ぬ気で走れ!死なねえから!」
と怒号が飛ぶような部活でした。
根性と気力と体力がめちゃくちゃ鍛え上げられ、体力偏差値82を叩き出してましたが、これが社会人になってから私をどん底に突き落とすトリガーになりました。
「世界中に友達を作る」が目標だった大学時代
私の大学での目標は「世界中に友達をつくる」でした。就活の履歴書にも書いたくらい、私の大学時代の根幹になった目標です
文系でしたが、めちゃくちゃ課題が多く、そんな中バイトを詰め込んで海外経験を積むための貯金を作りました。睡眠時間は常に3,4時間くらいでした。若くて体力が有り余ってました笑
実際ボランティアにも行ったし、留学も行って、海外旅行もたくさん行きました
留学中は様々なバックグラウンドを持つ人とたくさん関われて、たくさんの刺激を受けて、毎日が楽しくてしかたありませんでした。当時の友達とは今でも連絡をとってます^^
人生で一番楽しい時間でしたね
大手企業に就職し、仕事に打ち込む
第一志望の企業に内定をもらい、いわゆる「ホワイト企業」に就職できました。
全く触れたことのない分野の仕事だったのですが、知らないことを覚えるのは楽しかったですし、お給料もたくさん貰える。
社員もみんな優しくて、早く一人前になりたくて、もう馬車馬のように働いてました
仕事自体が好きというよりは、本当に優しい人ばかりで、「早くこの人たちの役に立ちたい!」という想いの方が強かったかな
仕事をセルフブラック化
かなり難しい分野を扱う業界にいたので、2~3年目くらいからようやく戦力になり始め、社内で仕事のオファーをたくさんもらうようになりました
「期待に答えたい!」と思い、業界の繁忙期と重なったのも相まって、残業や責任の重たい仕事をたくさん引き受けました。
そんな中、高校で鍛えた根性で自分を追い込んでしまい、4年目にメンタル疾患の診断を下されました
平日は家に帰ってシャワー浴びて寝るだけ、土日は寝溜め、平日家にはほとんどいなかったですね
朝の3時まで仕事したこともありましたが、もっと残業してる同期もいるし、私は体力と気力くらいしか取り柄がないからもっと頑張らなきゃと思ってました。
そんな生活を続けてたので、脳が常に緊張していて、寝ても2,3時間で動悸と共に起きてしまう。食欲が湧かない。何も楽しくない。勝手に涙が出てくる。そんな症状が9ヶ月続きました
人生の片付けを決行
そんなこんなでメンタル疾患を抱えてしまって、自分の人生のあり方について色々考え始めたんです
そして「あれ?私、幸せになるために仕事してお金稼いでるのに、仕事するために生きてない?」と思い至ったんです。「【手段】と【目的】、私たち、入れ替わってる〜!?」ってやつです
「私、どうなりたいんだっけ?てかそもそもそんなじっくり考えたこと無かったわ。私はどうなりたいんだろう」
そう思うようになった中、Youtubeを何気なく見てたらリベ大の両学長が解説してる「価値観マップ」という物を知ったんです
「価値観マップ」とは自分がどんな生き方をしたいのかを言語化して整理する物です
- 「自分にとっての幸せとは何なのか」
- 「何を大切にして生きるのか」
- 「何をどうしたくて今ここにいるのか」
- 「人生のやりたいこと30」
上記4つの質問の自分の答えを羅列して深堀していくんです。
本当は自分ではない誰かにツッコミを入れてもらってさらに深堀りしていくそうなのですが、とりあえずタダでできるし、やってみるかと、価値観マップを作成してみたところ、ある重大なことに気がついたんです。
「あれ?私の人生、順風満帆だと思ってたけど、、、私が理想としている人生とかけ離れてない?」
順風満帆だと思ってたのは「世間から見て」だったんです。
「いい企業に入ってたくさんお給料をもらって、福利厚生も充実してて、海外出張にも行くくらい世間から見るとバリキャリですごいお金を稼いでる人」
でも実際は、「お金はあるけど使う時間もないくらい働いてて、友達とも家族とも全然会えなくて、休日は溜まった家事と寝溜めで自分を回復させるのに精一杯、もしくは出勤。
責任の重い仕事ばかりで脳が常に緊張してて夜も眠れなくて、突然動悸で立っていられなくなって、メンタル疾患にまでなった。」
私の当時作成した価値観マップの「自分にとっての幸せとは何なのか」への私の回答はざっくりとした抜粋ですが下記になります
改めてマインドマップを俯瞰してみると、
「いやいや!理想と現実が真逆におるやないかい!」と思わず突っ込んでしまうくらい理想と現実が真逆にありました笑
「あれ?順風満帆、誰が見ても100点満点の人生を歩んでるつもりでいたけど、私今の仕事してても永遠に幸せになれなくない?」と思ったんです。
メンタル疾患で思考が「0か100かになっていた」のもありますが、「私、このままじゃダメだ!!変わらなきゃ!てか今の環境から逃げなきゃ!」と思い、人生の片付けを決行しました。
はい。本当に本当に全部捨てました 物にも邪気が染み付いてる気がしてw 全部変えなきゃって思ったんですよね。アホです。はい。
改めて書き出すと本当にクレイジーとしか言いようがない。でも1mmも後悔してないです
物を捨てて、最低限必要な物だけを買い直したら心がすごく軽くなりました。ミニマリズムに目覚めましたね。
そして今、まずは理想の健康状態に体を戻すためにメンタル疾患療養中の無職ってわけ☆
ちなみに仕事から離れても全然治らなくて、焦った私はメンタルクリニックで号泣しました笑
不眠や動悸が始まってから9ヶ月間、ずっと体のSOSを無視してたので治るのに時間がかかるようです
無理はだめですね。本当に。
私が発信する理由
現在はブログとインスタグラムで「ミニマリズム」x「メンタル」x「貯金」について発信しています
と言っても今までSNSは見る専、というか見る暇も無かったし、Youtubeは朝の支度の時に本要約チャンネルとか流してたくらいで「自分で発信する」ってやったこと無かったんです。
その①:自分と同じように苦しんでる人の力になりたい
書いてある通りで、この個人が情報をどんどん発信していける時代の中、私は今まで誰かが発信してくれたことにたくさん助けられてきたんです。
両学長の価値観マップ然り、退職で必要な手続き、不安な時に支えになる言葉、引っ越しで損しない方法etc
私の生活はほぼ誰かの発信で成り立ってます。だから私も発信して誰かの役に立つ側になりたい!自分と同じように不安に苦しむ人を減らしたい!という想いでやってます。
まあ綺麗事に聞こえるかもですし、「まずは自分の生活立て直せやい!」って感じですがw
自分がメンタル疾患になったことを打ち明けると「実は俺も…」って話してくれる人がたくさん出てきたんです。メンタル疾患の人って身近にこんなにたくさんいたんだとびっくりしました。そんな人達が自分の発信をみてちょっとでも元気が出たり、心安らぐ生活ができるようになったら嬉しいなと思ってます^^
その②:メンタル疾患の治療の一環
私はメンタル疾患になったことを包み隠さず周りに言ってました。
なのでお医者さんにも、同僚にも「しばらくゆっくりしてね」って言われました。
でもいざ、退職するとゆっくりできないんです。
ソファーに横になってると不安が押し寄せてきて脳が勝手に有る事無い事、高速で考え始める。気を紛らわそうと散歩に行けば突然涙がポロポロ溢れ落ちてくるし、友達に会ってゆっくりお茶でも飲もうと電車に乗ると動悸が起き、慌てて頓服薬を飲み込む。
そんな中私が不安を払拭できることは
- 読書
- 文を書く
- 絵を描く
- きつい運動
- 自分の考えを紙に書く
そう。不安なことを考えられないくらい何かに集中してる時。だからブログを書いている間、私は文を書くことに注力することで不安から離れることができています。
その③:あわよくば将来、自分で稼ぎたい
もう一回、企業に戻ったら病気が再発するんじゃないか。私はそう思ってます。
なぜなら、元いた会社はホワイトだったけど私は自分で自分を追い込み、メンタル疾患になってしまったからです。
メンタル疾患になって無理することがどんなに脳に負担がかかるか分かっていても、新しい会社に入ったら頼まれごとを断れないと思います。もうそういう性格なんですよね。Yesマン。頼りにされたら断れない第一子タイプ。
だから自分でお金を稼ぎたいという目標があります。
先程の価値観マップでも、どうやら私は「自由」を渇望してるらしいということに今更ながら気がつきました。
自分のことなのに。20代後半になってメンタル疾患になってやっと気づけたんです。
だからここで書いてることやSNSで発信してることで、誰かを助けつつ、生計を立てられたらなと思ってます。
以上、Mayoのプロフィールでした!
こんなに長いのにお付き合いいただきありがとうございました!
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最後まで読んでくれたあなたにいいことが起こりますように^^
んじゃね!
Mayo
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