こんにちは!MAYO姉です!
今回は20代アラサーで不安障害になって経緯と感じたことをゆるっと綴っていきたいと思います。
なんで不安障害になったの?
幼少期から心配性ではあった
私は幼少期からかなり心配性でしたどんくらい心配性だったかというと、
5歳の頃はいつ火災が起きてもいいように荷物(おもちゃ)を
全部袋に入れてすぐに逃げ出せるようにしてました(危機管理能力がすごい)
また、小学校低学年の時に「いつか東京に大地震が来るぞ!」
という定期的に放送される大地震が起こるぞテレビ番組を見た日には父に泣きながら
「寝てる間に大地震が来て家が潰れてみんな死んじゃったらどうしよおおお!」
と訴え、
「うちは耐震だから大丈夫。あと寝室の家具も全部倒れないようにしてあるから」
と説明を受けて「地震が来ても大丈夫」と納得するまで眠れませんでした
なので生まれつき楽観的なタイプではないと思います
これも不安障害になった要因のひとつかな
長期に渡るストレス
私は社会人4年目で睡眠の途中で起きてしまう症状が現れました。
原因はおそらくストレス。でもこの状況にとても違和感がありました。
なぜなら、会社での期待やプレッシャーはものすごかったのですが、人生で一番辛いほどかって言われるとそこまでではなかったんです。
私、高校生の時に
「死ぬ気で走れ!死なねえから!」
と言われながらめちゃくちゃ走らされるようなブラック部活に所属してたし。
留学や海外ボランティアで内戦が終わったばっかりみたいな国にも行ってたし。
それなりに失恋とかもしてきたし。笑
なんで今までの強いストレス下では不眠症状なんて起きなかったのに。
今になって仕事なんかのプレッシャーで?
気を失いそうになるまで体育館で走る部活の夏合宿を乗り越えたこの鋼の根性を持つ私が?
って思ってたんです。笑笑
でもよく考えたら今までのストレスって「突発的」なもので
長期でストレスに晒されたのは社会人になってからが初めてだったんですよね。
真面目が裏目に出て業務をセルフブラック化
今、皆さんは私が元居た会社はさぞブラックだったんだろうと想像しているかもしれないですが、そんなことはなかったです。
同期も部署の人も上司もみんな大好きだったし、有給もシステムをポチッとするだけで取れるし。
病気になって本格的に退職を考え始めて、社外の友人に相談した時も
「せっかくこんないい会社に入れたのに…もう少し考えてみたら?」
と言われるくらいのいい会社でした。
ただ私はいい意味でも悪い意味でもめちゃくちゃ真面目です。
法律や組織のルールは何がなんでも守りたいし、グレーゾーンにも居たくないです。
任された仕事は完璧にこなしたいし、できる限り誰にでも誠実でありたいと思ってます。
そして私の入社4年目、ちょうどぼちぼち戦力になり始めた時期と業界の繁忙期が重なり、
私は大きめのプロジェクトに入り、新しい分野のことを3つ同時に学ばなければならなくなりました
加えて、「2月後に3ヶ月間の客先滞在出張で海外に行ってもらうことになった」
と言われ、毎日脳みそはフル回転。
この時、誰かに頼ればよかったのかもしれない。
「自分には荷が重いんで少しサポートが欲しい。」
そう言えばよかったのかもしれない。
でも当時は繁忙期でみんな忙しかったので言い出せず、全てを自分で背負い込み、仕事をセルフブラック化してしまいました。
出張準備のため、他部署の人に事情を話し、新しいことを全力で学び、ビザを取り、車の国際免許を取り、部内の新人業務をこなし、客先のコロナ対策と米国のコロナ状況を調べ、社内での出張稟議を通し。。
肉体的に「忙しい」というよりも、経験したことがないことがあまりにたくさん目の前に迫ってきて全部自分にこなせるだろうかという「不安」が押し寄せてきました。
そんな中、今まで経験したことのない変化が身体に起こり始めました。
Mayoに起きた症状
真夜中に覚醒
当時は毎日朝から深夜まで仕事してるので頭も体もクタクタ。
ベッドに入った瞬間、気を失うように眠てました。
しかし、2時〜3時頃になると抽象的な嫌な夢を見て心臓がドキドキして起きてしまう
息も荒く、冷や汗でぐっしょり。
動悸が落ち着くのに時間がかかって
「明日仕事だから早く寝なきゃ」
と思いつつ、その後なかなかもう一度眠りにつけない
こんな症状がほぼ毎日起こりました
ご飯が食べれない
ご飯を食べると血糖値が上がって眠くなりますよね。
今思うと異常ですが、
あの眠たい感覚に陥って、今頭の中にある心配ごとを考えられなくなるのが怖い
だからご飯は食べれない。って思ってしまって
ひどい時はお昼はゆで卵とか、血糖値が上がらないような、生きていける最低限の物だけ食べて、朝と夜は食べない!
みたいな生活を送ってました。
当時はたくさんのことを考えなきゃいけなくて、常に気を張っていて、ご飯食べて思考が鈍るのが本当に本当に怖かったんです
土日も仕事のことが心配
土日もずっと頭の中は心配事だらけ。
むしろ仕事ができない分、会社で出張準備ができないので不安が増しました
ビザやコロナ禍での出国方法などをスマホで調べるんですがもう心配してもしょうがないことばかり頭に浮かぶんですよね
- 「陰性証明書もらう検査で陽性になって出張行けなかったらどうしよう」
- 「そもそもビジネスでの入国が初めて、税関で引っ掛かったらどうしよう」
- 「てか海外で車運転したことないんだけどどうしよう」
- 「客先でトラブルがあったら本社と時差がある中、どう対応したらいいんだろう」etc
休日も全然気が休まらず、6畳1Kの狭い部屋をウロウロしてました笑
動悸と冷や汗
急に「全力疾走した後」みたいに心拍数が上がり、冷や汗が止まらなくなることが突発的に起こるようになりました。
この症状は海外出張を無事終えて帰国し、緊張の糸が切れて少し落ち着いた頃から出始めました。
この頃は動悸がいつ起こるか、トリガーが全くわからず
どこかで動悸が起こったらトイレにこもってやり過ごし、休日の朝に起こることも、散歩中に起こることもありました。
じっとしゃがんでても心拍数はなかなか落ち着かないし、冷や汗がどんどん出てくる。
動悸が起こると「私、このまま死ぬんじゃないだろうか」って思うくらい不安になりました。
一人でご飯、涙ポロポロ
なんか悲しいことがあったわけでもなく、割と仕事が落ち着いてるようなタイミングでその時の感情とは関係なく涙がでるようになりました。
一番多かったのは部屋で一人で夕ご飯を食べてる時と散歩中でした。
急にポロポロ涙が出てきて
「おうおう、どうした私?」
って感じでした笑
嗚咽みたいな感じではなく、ただ感情が伴わない涙がポロポロ出てくるだけで、汗かいてるのと同じ感じでした。
一番大変で忙しかった時に泣く余裕すらなかったので、出張が終わって少し落ち着いてから涙が出てきたのでしょうか?いまだに謎です。
不安が常に脳を支配
出張から帰ってきても繁忙期は続き、むしろ出張で客先にいた分、社内からの問い合わせが増えたり、忙しさは相変わらず続いてました。
私が今振り返って「あ〜あれは異常だったな」と思う行動は、
「会社にいく時、毎朝同じ音楽を同じ順番で聞いて、この曲が終わるまでに会社につかないとその日は不幸なことが起こる」
というジンクスが私の中でできてしまってて、毎日忠実にその曲順で出社してたこと笑
小さなルール変更、手続き、新しい問題への対応
今まで気にしてなかったようなことが全て不安に思えてきて、足元に大きな穴が空いてるような漠然とした不安感が常にありました。
人生初、メンタルクリニックへ
強がって書いた問診票
症状が出てから約9ヶ月経っても、私は病院にもいかず、会社で仕事し続けていました。
どの症状を見ても健康とは言い難いですが、
- 「お腹が痛くて動けない」
- 「熱が出て体がだるい」
とかの出社するのに致命的な症状は無く、
ブラック部活で鍛え上げてしまったド根性で時々トイレや会議室にこもって涙を流しながらも毎日バリバリ働いてました。
不眠については
- 朝太陽光を浴びる
- 夜はスマホ触らない
- 途中で起きてしまったら塩と砂糖を舐める
- 瞑想する
- 朝散歩する
- 睡眠サプリを試す
などなど
色々取り組んでみましたが、良くなったり、悪くなったりを繰り返していて
「自力で解決できないんだろうな」と思い始めていました。
そんな中、また大きな仕事が舞い込んできて、さらに残業が増えそうになりました。
「これはまずい。このまま眠れないと流石に体力持たないわ。。」
と思った私は
「睡眠薬が欲しい」
という理由でメンタルクリニックへ行きました。
そして問診票を渡され、記入していた時、
「食欲がない」とか「毎日楽しさを感じない」みたいな項目があって、
「あれ?私これ全部正直に書いてたら重度の鬱。。?そんな診断されて入院とかになって仕事行けなくなったらやばい!」
と思い込み
睡眠薬がもらえそうな「眠れない」「動悸が起こる」の項目だけ「当てはまる」に丸をしました。
今思えば異常行動ですが、当時は本気で
「仕事いかなきゃ行けない、けど寝れなくて体力が限界だから睡眠薬だけ欲しい。」
と思ってました。
(※問診票は素直に書きましょう)
お医者さんにも
「今後、重い仕事がある。でも今深夜の覚醒症状に悩んでて、不眠によって仕事でパフォーマンスが発揮できないのが不安なのと、動悸がいつ起きるか不安で、そこだけ解決してほしい」
と正直に話し、まずは弱めの睡眠薬と動悸を鎮める薬をもらいました。
(すごく優しいお医者さんだった)
何のために仕事しているのか
私は何のために生きてるの?
睡眠薬と頓服薬をゲットして、すこーしだけ覚醒は改善したし、動悸が起きそうになったら頓服薬を飲んで、パニックにならずにやり過ごせるようになりました。
でも次々来る仕事に加え、
- 「他のプロジェクトのサポートに入って欲しい」
- 「海外出向候補に名前が上がってるよ」
- 「今のプロジェクト、来年さらに忙しくなるから大変だね」
なんて言われてなんか突然、心がぽきっと折れちゃったんですよね
本当に音が聞こえたと思うくらい「あ、もう私頑張れない。ダメだ。」って感じました
仕事はとても大変だったけど好きだったし、会社の人も、お客さんもみんな好きだった
だからいろんな症状が出てもみんなのために頑張りたかったし、プロジェクトも私の全てを注いできたので見届けたかった
でももう心と体がついていかないと思い、その日は早めに仕事を切り上げて家に帰りました。
家に帰って玄関を開けると目の前には毎日最低限のご飯を食べてシャワーを浴びて寝るだけの散らかった部屋。
「私、こんな生活してまでなんでこの仕事してるんだろう?幸せになるために仕事してるのに。まるで仕事するためだけに生きてるみたい。ずっとこの生活をこの会社で何年、何十年ってやってくの?なんのために?私どんな生活が理想なんだっけ?」
そう考えてたら仕事への熱がすっと冷めてしまいました。
逃げろ!転職先も決めず退職
転職先を探す気力は無いし、かといってこのまま会社にいたらもうダメになる!
と思い、心臓をバクバクさせながら上司に退職を切り出しました
父には「せめて転職先探してからにしたら?今後大変になるんじゃない?」
と言われ、不安にもなりましたが
とにかく逃げよう。大袈裟かもしれないけど「生き延びなきゃ!壊れる!」って思いました。
退職の意思を告げても上司は最後まで優しく、私の病状をとても心配してくれて、
「ああ、こんないい人の元で働けてたのに。。惜しいなあ、なんでこうなっちゃったかなあ」
とも思いました。
退職直前で症状はさらに悪化
退職直前も不安に押しつぶされそうな毎日でした。
仕事の引き継ぎ、各種退職手続き、将来への不安、色々な人に退職を告げる作業
繁忙期に退職する罪悪感や、退職後、思った以上に必要な手続きの数々、将来何も決まってないのにやっぱ退職の決断早まった!?
など。
ぐるぐる考えて、仕事して、常に冷や汗をかいてました。
最後の方は将来への不安や、退職を告げた部署の人たちからの暖かい言葉胸を打たれてに毎日会社で泣いてて
会議室を一人で使って泣きながら最後の仕事をしてました笑
退職後の現在
退職後、症状は劇的に改善しなかった
私は会社を辞めたらすぐに症状が良くなると思い込んでました
元々健康そのもので体力にもすごい自信があったし(ブラック部活を乗り越えた自信w)
全てのストレス源から離れ、ぐっすり寝れて、ご飯も食べられるようになって
動悸なんてもう起こらないし、転職活動なりなんなり始められると思ってたんです。
しかし、2週間経っても全く良くならず。。
まだ最終出社を終えてたった2週間だったのに、私はこれにめちゃくちゃ焦ってしまいました
まだ将来何するか決まってないし、早く治さないと後がない!どうしよう。。
と本気で焦っていました。
「あの、いつ治りますかね..?」
なんて漠然とした質問をメンタルクリニックの先生に投げかけて病院で大号泣
「ずっと続いてきた症状で、もう身体の癖になってしまってるんですよね。だからストレス源が取り除かれたからといってすぐ治る人ばかりではないのでゆっくり治していきましょうね。」
と言われて少し落ち着きを取り戻しました。(あの時の先生、急に泣いてごめんなさい)
現在
今も2週間に1回、クリニックに通って治療中です。
朝動悸で目が覚めたり、散歩中に泣いちゃって外出が怖くなったり
漠然と不安になって息が浅くなったりしますが
本当に本当〜に少しずつ良くなってます。多分。
いろんな方に「ゆっくり休んでね」と言われるんですが
これがまた難しい。。
ソファーでゆっくりしてるとどんどん不安なことが頭に浮かんできて
居てもたっても居られなくなるんです笑
「ゆっくり休む」って健康じゃないとできない。少なくとも私は。
そんなわけで、本を読んだり、運動したり、こうやって文章を書いたりして
浮かんでくる漠然とした不安をかき消す毎日です。
以上が20代アラサーで不安障害になった私の経緯と感想です^^
私が今回学んだのは
「無理してはいけない。絶対に。体も心も人生でひとつしか与えられてない。」
みなさん。
自分の体調や心境の変化を無視しないで。自分を大切にしてあげてくださいね。
不安障害を抱えてる方、みなさん、もしくはみなさんの周りにもいらっしゃるんじゃないでしょうか?
この記事はあくまで一個人の発症から現在までの症状と感想ですが、
何かの参考になれば嬉しいです^^
んじゃね!
MAYO姉
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