私が大学時代、バイトで貯めた100万円を全部ボランティアに使った理由

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こんにちは!Mayoです!

今回は「私が大学時代、バイトで貯めた100万円を全部ボランティアに使った理由」

についてお話しします^^

この記事を読むべき人
  • 海外ボランティアが気になっている
  • 国際支援した人の感想を聞きたい

「世界がもし100人の村だったら」で受けた衝撃

大学時代、バイトで貯めた100万円を全部ボランティアに使ったきっかけは、10歳の時に観た世界がもし100人の村だったら」というテレビ番組です。

それが後に大学生になった私を3回も海外へ飛び立たせる大きな原動力となりました

フィリピンに住む12歳の少女と私

私が衝撃を受けたドキュメンタリーは、フィリピン、マニラのゴミ山に住む12歳の少女を取材したものでした

彼女の名前はマニカ

彼女の父は殺され、母は病気で動けずに寝たきり

弟2人と病気の母を養うため、学校を辞め、少女は毎日ゴミ山でお金になるゴミを集め、そのゴミを換金して生活しており、収入は3日で90円ほど

食事は3日に1回ふやかしたお米に塩をかけて食べている

という内容でした

私は当時10歳で、自分と歳の近いマニカに感情移入しながらテレビを観ていました

当時、私の月のお小遣いは500円。もちろん親から支給されるし、コンビニで友達とお菓子を買ったり、貯めたお年玉と合わせてゲームを買ったりする娯楽に使っていました。

でもマニカは常にお腹を空かせながら毎日10時間働き3日に一回得られる90円で家族を養っている

生まれた境遇が違うだけで、海の向こうでこんな過酷な生活をしてる同世代の子がいることが大きな衝撃になって頭から離れませんでした

涙が止まらず、眠れなかった10歳の夜

そのテレビ番組を観た日はフィリピンの女の子を想ってベッドの中でずっと泣いていました

私はとてつもなく恵まれた国、家、環境に生まれたことに今まで気づきすらしなかったことに罪悪感と恥ずかしさすら感じていました。

私はその女の子を自分に、彼女の家族を自分の家族に置き換えて「私がフィリピンのゴミ山に生まれたら、どうしていただろうか」と眠れないベッドの中でぐるぐるずっと考えていました

私が日本に生まれたのは私のおかげ?

日本で生まれ、衣食住に困らず暮らしているのは私が何かの競争に勝ったわけでも、いい行いをしたからでもなく「運」です

「親ガチャ」なんて言葉が流行りましたが、「国ガチャ」が良かっただけ

そして私は海の向こうには困ってる人がたくさんいることをもう知ってしまった。

「なんの努力もせず恵まれた人が、困ってる人を助けるのは義務なんじゃないだろうか。私は少なくともフィリピンの少女を見てそう思ったし、将来絶対に何か国際支援をしよう。」

と頭の片隅に大事にしまっておきました。

異国の地で土木作業

セメントと仮の家
内戦後のスリランカの作業現場

そして大学生になり、飲食のアルバイト2つを掛け持ちして貯めた100万円で

インドネシア、フィリピン、スリランカ家を建てるボランティアに参加しました

ボランティア内容は、材料費の一部を支払うのと、セメントを混ぜたり、レンガを積んだりする土木作業がメインで、家を建てることでハウスオーナーの生活の基盤を整え、自立を促す活動でした

みんな笑顔で幸せそうだった

初めてボランティアで行った国はインドネシアでした。

私は10歳の頃に見たマニカの影響で「がんばるぞ〜!」と力んでいました。

でも実際に現地に行くと、我々が建てた家に住む予定の一家とそのご近所さんたちがみんなで出迎えてくれて、みんなニコニコと幸せそうに笑っていてびっくりしました

薄いベニヤ板で、今にも倒れそうな家に山奥に住んでいる彼らだけど、日本の山手線に乗ってる大人たちよりも笑顔で、楽しく、イキイキしてる

そんな印象を受けました

いいの、来てくれただけで嬉しいの

滞在期間はたった2週間、私たちはできるだけ家作りに貢献したいと張り切っていたので、黙々とセメントを混ぜて、運んで、の作業をしていました。

しかし、しきりにおやつやお茶を出して休憩を促してくれる地元の方々「遊んで〜」とやんちゃな子供たち

「こんなに休憩してたら作業が遅れちゃわないですか?」と聞いたら

「いいのよ、こんな山奥に外国人が来るだけで珍しいし、私たちのために来てくれただけでみんなすっごく嬉しいんだから」

と言ってくれて、泣いた。

ボランティア、偽善でもいいじゃん!

トタンのスラム
フィリピンでボランティアした地区のスラム街様子。台風が来ても安全な家を建てるための基盤を作るお手伝いをしまいした

そんなこんなで大学時代、インドネシア、フィリピン、スリランカで土木作業のボランティアをした著者ですが、ボランティアやっててよく言われたのが「結局、ボランティアって偽善じゃない?」って言葉です。(ドイヒー)

でも私は3回のボランティアを通して「仮に偽善だとしても、相手が喜んでくれるならいいんじゃない?」という結論に至りました。

例えば、あなたが仕事の帰り道、予期せぬ土砂降りの雨に見舞われ、傘が無くて立ち往生してたら隣に立ってた人が「良ければスペアの傘があるんで使ってください」って傘をくれたらすごく助かるし、相手が「偽善」でやってくれたとしても濡れずに帰れることには変わりないですよね^^

ボランティアする大義とかを語る方も多かったですが、私は人助けに大きな理由なんて無いと思います。

もしあなたのお隣さんのお家に隕石が降ってきて、明日からの生活に困っていて絶望してると知ったら手を貸しますよね?瓦礫を片付けたり、暖かいご飯を買ってあげたりしませんか?何かできることはないか聞いたりしませんか?

人間、助け合って生きてきたんで、助け合うことに喜びを感じるDNAが淘汰されて残ったんじゃないかな。多分←

私と私が海外のボランティアで携わった人はもちろんご近所さんではなかったです。

だけどたまたまTVで世界の不平等を知って「何か自分にできることをしたい」と思った私が、現地に足を運んで、ご近所さんを助けるように一緒にセメントを混ぜて、水を運んで、レンガを積む作業をお手伝いしただけだと思ってます。

まあ何が言いたいわけでもないのですが、あんまこういう経験した人いないんじゃないかなと思って書いてみました^^

以上、フィリピンの少女に影響を受けてバイトで貯めた100万円を全部ボランティアに使った話でした^^

実はフィリピンに行った時、ちょうどマニカが住んでたゴミ山と同じマニラでの作業だったので、「マニカに会えるんじゃないか」とちょっと期待していましたが会えませんでしたね。。彼女が今少しでも幸せに生きていたらいいな

んじゃね!

Mayo

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